Masaru Saito

飛んでいる鳥のイラスト。
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    タイトルにはとにかく意味はない。

    パソコンで音楽を作るというのは実に地味な作業だ。しかし、これほどパワフルなツールはない。もう10年以上はパソコンで音楽を作ってきたと思うけれど、ほんま他のものはいらないと思う。

    Roland SH-4Dの動画を見てて、これすごいなと思う。パソコンがなければ、テクノミュージックを作るには最適だっただろう。パソコンにはないUIの部分も魅力的だ。これから音楽を作る人にはまず間違いなくおすすめしたい。

    しかし、自分があれを買うかというと買わない。パソコンでなんでもできるのを知っているからだ。

    でもパソコンって地味なのだ。地味だからライブではあまり映えない。ここが問題。MIDIコンとかあればいいのではと思うけれど、実際そうなのだけど、MIDIコンなくてもいろいろ出来てしまうので、MIDIコンもほぼ使っていない。

    というかSH-4Dもデジタル機器だから、中身はパソコンと考えてもいい。

    パソコンの便利さとはなにか、それはものを移動させたり、つないだりしないでいいってことだ。そこから音がでるので、私はスピーカーすらつないでいない。内部ではシンセにエフェクターとかリズムマシンをこっちにつないでというのが簡単にできる。実物だとそこに重さが生じ、配置に困り、結線がうまくいかなかったり、コネクターが汚れていたらトラブルし、そういうことと無縁なのがパソコンの世界なのだ。

    パソコンにはなるべく周辺機器をつけないようにした方がいい。電源だけだ。

    しかし、人は苦労をしたがるし、実際のものを動かしたい。だからパソコンでなにかを作るというのは一定数しかたぶんいない。

    そして一番大きいのはこんな機材を使っていますマウントができないことだ。w

    9月 24, 2023
  • 今度こそちゃんとブログを更新つづけよう。w

    SNSでなにかを書くというのがやりづらくなってきたし、言わなくてもいいことは書かなくてもいいのだ。

    SNSに書くということはそれを見ているフォロワーに強制的に見せるということになり、そういうのはあまりやりたくないのだ。というか、こっちが気にするのだ。本当はなにを書いてもいいのだが、それは理屈であって、文章だけとかが流れてきたら多くの人は困るのだろう。

    しかし、文章を書きたいのだ。だから、ブログの方がきっといい。SNSでアウトプットしないことはすべてここで書けばよいのだ。

    写真が横行しているSNSだが、写真にテキストはなくていいし、ぼかしも不要だ。子供の写真を載せて、子供の顔をわからなくする。それだったら、その写真は見せる必要がないのでは?と思ってしまう。けど、載せたいそういう自己アピールをしたいんだろう。

    写真には写真だけでわかることがある。いろんな表情や空気感。それがだいじだ。テキスト化すればいいってもんじゃない。

    逆に文章に絵も写真もいらない。小説にも挿絵が出るけど、あまり意味はない。小説の世界を表しているとは思えない。それらはただの彩りとして存在しているだけだ。彩りもひとつの機能ではあるが。

    そういうのってあちこちにある、バリアフリーでお年寄りが怪我しなくていいというが、障害物があるから脳が老化しないともいえるわけで、楽や便利が果たしていいことかどうかはわからない。

    映画の説明とか解説しているサイトがあるけれど、わからなかってもいいんだよ。それは日常でもある。すべてがちゃんと伝わっているなら、未来で離婚するカップルが結婚したりはしない。

    話がずれたが、日々感じたことを適当に書いていこう。ただ、ブログの嫌なところはタイトルをつけなければいけないことだ。

    9月 23, 2023
  • 自然とはなにか?

    養老孟司の動画で自然とは人の意識が作らなかったものという定義をしていた。なるほど。

    自然に触れ合うとかいって、ハイキングコースを歩いたりするのは、ほぼほぼ自然ではないと前から思っていた。なぜかというと、道は人間が整備しているものである。草木をカットしてあれはできているのだ。人が歩いていると維持できるが歩かない場所は草がぼうぼうで、わりと誰かが整備していたりする。

    普通に都市生活をしていて自然を感じるのは空と雲と光と雨と風ぐらいなもんだ。道も人工物だし、そこらじゅうに誰かが作った人工物があふれている。

    ただ、面白いのはその人工物は材料は自然のものだったりする。というか、地球上にあるものを加工して生み出している。すなわち、人の意思が絡んでできたものになっているわけだ。

    さて、そんな話がしたいのではなくて、この自然との関係のバランスがわりと重要なのだろうと考えていた。

    たとえば、昔はテレビはアナログ放送だったし、テープレコーダだったし、紙に手書きのノートやら本などが手に入るものだった。これらはアナログであり、アナログにはいい加減な部分が存在する。テレビ放送もデジタルから比べればすぐわかるが、ひどい状態だ。テープもヒスノイズがついてまわる。紙はにじむものだ。かすれたりもする。

    だが、デジタルになるとこのいい加減な部分がなくなる。いい加減な部分がなくなると、それが素晴らしいとなり、均質化なものを求めていく。

    しかし、基本は人口物といっても自然なものであるので、実は個体差というのがある、初期不良もあれば、調子のいいものもあるのだ。だが、均質化で、それらは排除される方向になる。

    人間も自然なので、実はいい加減にできている。朝起きたくないとか、まだ寝ていたいと言うのは普通なのだ。規則正しい生活をできている方がどうかしていると言ってもいい。

    なので、均質化はそんなにあわないのであると思っていて、いろんなところで、問題が発生しているのではないかなと思っている。

    つまり、それからするといい加減なものにバランスよく触れるというのが結構大事なのではないかと思っていて、そういうことを音楽を作るのにもいれていくべきだなと思っている。

    しかし、便利さも享受したいとも思う。なのでコンピューターを使わないというのはちょっと無理だ。wコンピュータを使いつつもいい加減さをどういれていくかがポイントとなる。

    6月 29, 2023
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