Masaru Saito

飛んでいる鳥のイラスト。
  • デジタルの問題その2、正解は常にあるということ

    デジタルは数字である。数字であるから、計算は常に正解というか答えをだしてしまう。ところが実際にはそうではない。

    簡単な例だと1/3は正確には答えがでない。0.33333333…と無限にあるので、数字としては答えがでない。デジタルだと桁数の制限があるので、必ず、答えが出る。

    これは単純な計算例だが、デジタルというのは抽象化された世界である。だから、情報は抽象化されている。だから、コピーができる。

    実際の情報はどこまでいっても具体がのこっている。デジタルカメラで写真をとったら、その解像度、色深度の情報以外は入っていない。しかし、大方それで役立っている。大昔のパソコンは320×200で高精細と言ってた時代もあった。色も8色しかでなかったこともあった。RGB1ビットだ。現在のようにRGB各8bitになるまで相当時間がかかった。メモリが高かったからだ。また、それらの画像を処理するCPUのパワーも必要だった。今ではあたりまえなんだが。

    インベーダーゲームやパックマンが粗い画像なのは、本当に粗かったわけだ。

    抽象化された情報でも情報量が多くなれば使える。音楽は44.1KHz、16bitあれば、そこそこ聞ける。

    ただし、実際のリアルはそうはできていない。

    ソフトシンセを使っているとそういうのはよくわかる。実際のアナログシンセに比べて違うことは何かというと、毎回同じ計算結果なので、同じ音がでているわけだ。

    ギターだったらこうはいかない。楽譜どおり正確に弾けたとしても、ピッキングのタイミングや角度によって、あるいは弦の様子で毎回同じ音がでるとは限らない。こうしたことが積み重なってリアルな音がなっているわけなのだ。

    大きくは計算結果とはかわらない。たとえば、シシオドシ。竹筒に水がはいっていく、いっぱいになると倒れてカタンという音をだす。このタイミングはおおまかには計算どおりだ。水量もそうかわらんだろう。けれど、おそらく、毎回の音はたぶん微妙に違う。聴き比べてもわからない程度に。もしループサンプリングすれば再現できるかもしれないが。1回のループだとすぐにあきるだろう。本物はあきないと思われる。

    この差が大きいのだ。アナログシンセなら何かが微妙になにかに影響しているのだ。それは部品レベルで。大きくは計算どおりでも誤差がそこら中に存在し、電圧の誤差もそこら中に存在し、言ってみれば、毎回及第点の音はでているが、毎回ちょっと違う音が出ているのだ。

    この誤差とか相互の影響が何もしないと出ていないのがデジタルの問題その2である。

    12月 4, 2024
  • 集中と分散の話

    宇宙誕生はビッグバンがあって、それが拡散することからはじまる。熱力学の法則にエントロピーの増大という法則があるが、温度でも拡散して下がっていく方向であり、あらゆるものは常に崩壊する道へとたどる。

    拡散する前には集中している必要がある。自然界の法則とは常にこの連続なのだ。

    生命の誕生も同じで、集中して生命が誕生し、どんどんそれが拡散して最終的になくなる。生命の内部では常に細胞を作っては死ぬということが起こっている。それにより個体を保っているが、これも最終的には集中できなくなって、拡散していく。

    昔から、永遠に残り続けるものはない。無常の概念はある。どのような都市でも栄えたあとには没落する。ただし、長期的にみないといけないが。

    経済も同じだ。バブルがやってきては崩壊する。日本のバブル崩壊は回復までに時間がかかったが、これは集中の速度が遅いことに起因していると思う。アメリカはリーマンショックでものすごいバブル崩壊をやっているのに、回復にはそれほど時間がかかっていないのだ。

    とにかく集中と分散ということがそこらじゅうでおこっている。

    ただ、これは自然界の法則だ。数学的にはそうはいかない。その一番の大きな問題は金利だ。

    つまり、金利がつけば、それが複利運用で回せることだ。

    金利のつく金融商品があれば、確実にその商品を複利で回しているところに富が集中する。長い時間がかかるかもしれないがそうなる。この富はだれかの富が移転しただけにすぎない。なぜなら、複利で得た富は価値があがったものではないからだ。

    つまり、金融商品をたくさんもっているところに富が集中して、格差が生まれる。もし、仮に全員が同じ金融商品をもったらどうなるのだろう?AIに聞くと、金利がさがっていくはずだと答えた。実際にはそうなるまでに時間がかかるとは思うが。

    金利がない世界はこれからもないので、気付いたものは金融商品に投資するということをしたほうがいい。この富はほぼ集中しかしないのだと思う。

    11月 26, 2024
  • だいたいどんなことでも3年はかかると見とけ

    新たなことをやり始めるとして、まず3年は何事にもかかる。イメージとしては3年でうまくいかないことが多々あり、後退して3年たってやっとスタートラインにたったというところだ。

    何かを勉強したとして知識はすぐに手に入るが、その知識をしっかり体得するまでに1-2年はかかり、その後にあの知識はこういうことだったのかとわかるのが3年目ぐらいだろうと考える。

    その応用で考えると新製品というのは少なくとも3年後のモデルチェンジぐらいから完成度が高まってくることだろう。

    しかも、毎日そのことと向き合っての3年なので、たまにしか向き合わないともっとかかるのかもしれない。ただ、かからないのかもしれない。これはわからない。

    というのは、脳は休んでいるときもそのことで神経回路を作ろうとしているからだ。おそらく、この神経回路がちゃんとできるのに3年かかるのではないか?そこは調べていないけれど。

    11月 17, 2024
  • デジタルの問題その1

    デジタルとはなにか?0と1の世界である。実際には0と1の世界というのありえない。リアルワールドにはないのだ。どういうことかというと、半導体というやつが、この0と1を生み出している。0-1まで小数点の世界があったとき1に近いものを1に0に近いものを1にしているというわけだ。この性質を利用して、コンピュータが生み出された。

    リアルなものはどんなものでも朽ちていく。完璧なものなぞ存在しない。しかし、デジタルの核心は情報なのであって、これは確実に保存できる。実際にはコピーをつくることで情報が永遠と残ることができる。リアルデバイスが朽ちようと、データだけを新しいデバイスにコピーできれば情報は保存できる。

    逆に、それまでは情報とリアルはくっついていたのだ。レコードはそういうものだった。ある音楽が入ったレコードが出て、それが素晴らしいとなったら、レコードの生産した分だけが売れた。そこにしか情報が存在しなかった。しかもコピーは変質をともなっていたのだ。これがリアルなのだ。厳密な意味では同じものは二度と作れない。

    こういう性質の違いがもたらすものは、リアルには価値があって、情報は無価値であるということだ。なぜなら情報はコピーできるからである。価値というのは供給量で決まってくるのだ。デジタルデータはいつでも供給量を増やせるし、ストリーミングになったらそれは無限大に達している。よって価値は限りなく0に近づくことを意味している。

    これが問題その1。

    11月 13, 2024
  • 投資

    投資とはなにか?簡単にいうとヘッジである。ヘッジとは保険のことだ。円安時代になり、現金の価値は減っているのだ。だから、ヘッジをかける。これが基本。

    と、同時に投資にはギャンブル性もある。つまり、上がるか下がるかは時の運というわけだ。なので、短期投資、トレードのたぐいはうまくやらないと儲からない。

    長期投資の場合は完全にヘッジとして機能する。たとえば、海外資産を買えば、その分はヘッジになる。日本円がどうなろうと、それなりに価値が保全されるだろう。そういう考えでは世界の株式を平均的に買うのが正解である。つまり、新NISAでだんとつの人気商品オルカンを買うのは正解だ。

    しかも株なので、企業ががんばればそれなりに儲かる。しかも平均である。さらに時価総額加重平均なので優秀な企業にウエイトが集まっている平均なのだ。そんな平均が長期的に見て、あがらないわけがない。だから迷ったらオルカンでいい。ただし、一時的には世界恐慌など、特にアメリカ企業のウエイトが多いのでアメリカが風邪をひけば一時的には下落する。ひどいときは半額になってもおかしくない。

    そう考えると生活資金を投資にまわしてはいけない。投資とは余剰資金をヘッジすることなのだ。

    ただ、私は同時にトレードもしている。ヘッジ以外で投資で儲けようと考えている。それはまた、今度書くことにするが、この場合でも過去の失敗から考えて資産の10-30%を回すのが適切だろう。単純に3当分して、生活資金、長期投資、トレードとわけてもいいかもしれない。とにかく全部盛ってはいけない。これは大原則だ。

    11月 13, 2024
  • また、ブログへ

    最近、思ったことが書きにくい時代だなと思う。これはタイムラインのせいだ。読みたい人が読みたいとならないから、それにあわせて書こうとする。そうすると好き勝手なことが書けない。いや、書いてもいいが、そこまで心臓は太くない。

    というわけで、また、ブログを再開する。そもそも、公開で記事を書くのがあまり好きではないのだが、かといって、鍵をかけて管理するというのも違うなという気分もある。

    そもそも影響力があるような人ではないから何も気にしなくてもいいのだろう。

    とにかく、思ったことを書いていこう。

    11月 13, 2024
  • 基礎が大事

    あらゆることは基本、基礎がとても大事だと考える。このことに気がついたのは比較的最近だ。本当は若い時にちゃんとこの事実に向き合うべきだが、若い時は新しいこと、今流行っていることに目が向きがちだ。だから、このことに気がついかない方が多い。私もその多くの方に入っていると思う。

    基礎ができているから、応用が出来、新しいことを思いつく。順番はこれしかない。新しいことから始めると、基礎がないので応用ができず、さらに新しいことができない。

    そして、基礎とはとてもつまらないものである。もはや、過去のことをやるわけだから、それはとてもとてもつまらない。数学でいうと、足し算、掛け算の世界をずっとひたすらやり続けるようなものだ。野球ならバットの素振りやら、ひたすらストレートを投げまくるようなものだ。

    音楽だと手拍子だろう。手拍子がちゃんとできるようになってから、音楽をやった方がいい。その次はカスタネットか、マラカスだ。でも、きっとこれがそこそこできるようになったら、体にリズム感ができるようになる。それが今後の表現力につながる。

    投資、投機においても、基礎は大事だし、すでに昔の人が投資方法を研究しつくしている。資金管理等、投資の教科書的なものはすでに大昔からあるのだ。グレアムは1900年ごろ活躍しているし、ワイコフも1900年ごろだ。そのころ、どういうものに投資していたのかを調べるのがいい。そうした当たり前の基礎がわかっていれば、投資で失敗することもあまりないのだ。そして、今、巨額を築いている人たちは、基礎ができている人だろう。

    要するに当たり前なことを当たり前にやる延長に世界はできているのだ。

    5月 8, 2024
  • 人間は動物である。当たり前。

    動物というのは植物と違うということだ。植物とは何か?動かなくても栄養を生み出されて、成長することができる。動物はそうではない。

    植物ってのは光合成で永遠に栄養を作れる。動かないので、成長することで栄養を使っている。

    動物は栄養を自分で作れないので、動いて栄養を探す。食事を探すのだ。そして一時的に貯蔵できるようにできてる。動くために栄養が必要で栄養がとれないために一時的に貯蔵できるのだ。植物と違って、ずっと成長することはない。

    つまり、動物というのは最初から動くことが前提なのだ。動くために栄養を生み出せないようになっているとも言える。とった栄養はまた動くためということでもある。

    この観点からすると人の健康というのは動くことが前提なのである。動くことが前提だから、動かない生活に健康はありえない。現代では、簡単に食事ができる。苦労しなくても食事がとれる。で、とりすぎた栄養を処分するために運動をしている。これは実際には本末転倒なのだ。

    栄養をとりにいくために動くことが必要だ。ということは腹が減るまで食べない方がいい。そして、食材を買いだめすることなく、都度一食分を買いにいって、帰宅して調理して苦労して食べる。きっとこういう生活が健康的だろう。

    4月 18, 2024
  • エントロピーの法則

    熱力学にエントロピーの法則があって、熱はかならず発散して広がって冷めるというものがある。当たり前のことだ。

    この法則は、熱力学でなくてかなりのことに有効だ。

    先日、昔のクラブカルチャーの映画を見たが、これもそうだ。クラブカルチャーは一時期もりあがったが、衰退した。ロックの黄金期もそうだ。歌謡曲すらそうだ。

    商品もそうだろう。色々商品は売れたものはやがて売れなくなってしまう。これが当たり前だ。

    エントロピーの法則は熱エネルギーがどうなっていくのかであるが、他のものはどうだろう。

    クラブカルチャーの衰退は音楽が多様化したことだろう。多様化はこれまたたどるプロセスの必然だ。つまり、多様化したところがものごとの終焉であるといってもいい。

    商品も多機能をやりだしたら、単機能で売れなくなったことを意味し、つまり、それはその商品が売れなくなることを意味する。

    iPodを例にとるとまさに商品が多様化した時点で終わっている。確実に終了するのは、それを使わなくてもいいということがわかったときだ。

    12月 10, 2023
  • 裏の裏は表じゃない

    人生の話だ。表の人生があれば、裏の人生がある。簡単にいえば、成功している人生と成功していない人生だ。

    裏の裏は表というがそうではない。この場合、さらに裏なのだ。裏レベルが1段あがっただけだ。

    表を歩いてる人生では多少の失敗ではまだ表なのだ。どん底におちたという気はしないだろう。しかし、裏側にいれば、結構、裏側だと思う。

    しかし、そのことは実はたいしたことではない。どういうことかというと、運命的というか、ただの運なので、確率なので、どちらもありうるということだ。表にいくか裏にいくかは誰にも決められないのかもしれない。

    いくら努力しても、たとえば、よい学校を出てよい会社に就職しようと思っても、そうなるのはそれだけでもざっと25%ということになる。単純によいわるいを50%で考えて、その50%だから25%だ。もし、これが東大出て官僚になるなどだとさらにもちろん確率は下がる。確率の問題だ。

    定員が決まっているところに多くおしよせたら、それは外れる人も出てくる。けれど、その外れた人と受かった人には明確な違いはない。ただ、運がよかったかどうかだ。

    で、この運というのは、そこらじゅうで効いてくる。だからずっと裏を引き続ける人もいる。裏の裏は表じゃないのだ。

    けれど、裏側の人生はそれを楽しめばOKなのである。これが人生の難しいところだ。比較すると自分がだめだと思うのかもしれない。だから、昔から比較することはろくなことがないといろんなところで言われている。

    裏の裏であってもそれでいいのだ。

    11月 4, 2023
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