Masaru Saito

飛んでいる鳥のイラスト。
  • 楽器をなぜ増やしたいと思うのか?

    楽器をあれこれ試したいとか、買い揃えていきたいという欲求は誰もが通る道かもしれない。ただ、結論を言ってしまうと、何も音楽とは関係していないことなのだ。

    テレビやらパソコンのモニターを画面拡張という意味以外で増やしたいと思うだろうか?比べてみたら、少し色も音も違うかもしれない。けれど、同じ部屋にテレビが2台あるという部屋は少なくとも見たことがない。

    スピーカーだとなぜか数台ある人はいる。私がそうだ。しかし、当然ながらそのうちの1台ぐらいしか同時に使っていない。

    カメラとか時計もコレクションしている人はたくさんいる。これらとスピーカも楽器も同じようなものだ。

    カメラも同時に1台しか自分では使えず、時計も1本しかつけている人しか見たことがない。(時計は何本でもつけられるだけつけれるかもだが、そんなことをしている人はそういない)

    服も増やしたいと思う人はたくさんいる。同時に着れるのはそれこそ一着だけだ。服の場合は全体とのコーディネートの関係で、あわせるものがそこそこいうという考えはある。

    では、カメラや時計はどうだろう。これは完全な好奇心と体験をしたいだけだ。何かしら、違う世界のものを手にいれたらある種の体験ができて、満足が得られるという風に思うわけである。

    スピーカーもそうだ。違う体験ができるかもと思ってしまう。

    楽器も結局そこにいく。アコースティックの楽器でも同じ音の出るものなんてない。余計にこれはどんな音がするのだろう?と思ってしまう。電子楽器だとメーカーも違えば発音方式も違うし、ユーザーインターフェースも違うので、余計にこれはどんなものなのだろうという好奇心が煽られる。

    結局、この好奇心を満たして、新しい体験をしたいがために楽器を増やしてしまうのだ。

    しかし、前述したが、これは音楽とはまったく無関係である。

    絵をかんがえてほしい。画材を買うが、そこから以降はそれで何をどういう風に描くかだけである。画材の種類、画材メーカによって、何かが違うかもしれないが、普通はその持っている画材でなんとかするだけだろう。

    どうコントロールするかの方が大きいのだ。映画だと脚本があって、それを演じる役者がいて、構図があって、時間感覚があって、で、どのカメラで撮っているとかはどうでもいいではないですか。

    楽器を増やすことより、いまある楽器をどう使うかを考える方がずっといい。

    10月 14, 2023
  • どうしようもない怒り

    どうしようもない怒りというものは確実にある。本質は自分が原因でなくて、他人やら環境やらが原因で自分が不快に思ってしまうことだ。

    しかし、これは自分にはコントロールしようがない。困ったことに。

    だいたい共通の場でこういうことは起こる。隣接しているというところも、微妙に共通の場だろう。

    交通事故で他人の車の操作ミスであったり、家族や隣人、同僚、上司との人間関係トラブルとかもそうだ。自分が原因の時もあればそうでないときもある。

    ただ、ほとんどは人生全体で考えるとほんの些細なことだ。怒りで、原因を指摘しても改善される場合もあればされない場合もある。なんなら逆ギレされる場合もある。

    いずれにしろ、そういうものは自分ではコントロール不可能だ。自分がコントロールできることは、その状態から離れることしかない。場所的にも時間的にも離れることしかできないのだ。こういう問題はつきあえばつきあうほど、こちらが損するだけである。これが結論だ。

    どうしようもない怒りを感じた時は鎮静化するまで、待つしかない。そして、その波を増幅しないようにするしかない。怒りの波は水面の波のようにいずれはなくなる。けれど、それをさらに荒立たせると波はいっこうに静まらないのだ。

    10月 13, 2023
  • SNSが機能すること

    SNSが機能するのは、記事や対象が一般的であるかどうかだ。マイナーなものはいくらSNSでやっても、宣伝等は機能しない。

    自作音楽の宣伝、イベント等の宣伝をしたところで、SNSを通じて、イベントを見に来たなどというのは皆無である。

    bandcampやyoutubeなどは探せばマイナーなものが出てくるので、あっちはフォロワーを増やそうなどと思わない限り、それなりの結果は出る。
    FBやXのようなタイムラインで記事が流れていくようなものは、マイナーなものは機能しない。

    youtubeもおすすめ動画をだしてくるが、このタイムライン機能はよくないのだ。特にマイナーなものには。そりゃそうだ。おすすめなのだから、それなりに見られているものがおすすめされるに決まっている。

    で、そういうのって、それを見た人が「あ、いいな」と思うことである。つまり、それは一般的なことであって、その他はスルーされるのである。

    よって、SNSで大変人気なのは食べ物になるのだろう。

    一方、マイナーなものというのはユーザの自発的行動によってのみ受け入れられる。自発的行動であるので、宣伝等はまったく機能しないのだ。こっちは何か面白いものを探した結果、たどりつくことに意味がある。

    タイムラインで簡単にたどりつくものがいいわけがないのだ。

    マイナーなものがブレイクするきっかけは宣伝ではなくて、他の推薦によることが多いのだと思う。私もやたらbandcampの視聴数が増えたなと思ったら、どこかのサイトで推薦されていた。

    要するに、一般的な宣伝ではだめで、信頼できるマイナーな情報だけを集めているメディアで宣伝されるとわりと認知されるわけだ。

    タイトルが機能することにしたので、ポジティブな話にすると、話題が一般的なことにフォーカスしているかがポイントである。で、一般的なことって何?っていうと、これは私には難しい。

    10月 12, 2023
  • SNSを辞めるか?

    インスタはほとんど使っていないのでやめても支障はない。Xもあまり使っていない。FaceBookは書いているけれど、たぶん、いろんな人が読んでいるから記事の有効性がないように思う。

    SNSの弊害は、いろんな情報が入ってくることだ。そのどれもが簡単にいうと「私を見て」だ。ま、そりゃそうだな。

    個人的には私を見て情報ではなくて、私はこうしているという情報がいい。美味しそうなものばかりを食べている情報ではなくて、普段のなにげない情報の方がいいのだが、皆着飾ってくるからうざいのだ。

    さらに見たくもない広告が入ってくる。本屋の広告とか、おいてある本を見て、ああ今こういうのが流行っているのかと、受け取り方が違うのはなぜか。

    本屋は語りかけてこないのだ。あと、本屋や書籍メーカーのマーケットで自ずとソートされるというか、淘汰されている。情報がたぶん整理されているのだろう。

    SNSはこのブログ同様ゴミ情報の集まりなのだ。で、勝手に流れていく。そこが嫌なのだ。見たい人が見れるシステムではない。つまり、友達というフィルターでは十分ではないということだ。

    通常の友達だと自分とあっている時間は自分という存在が相手にも影響する。だから、情報はそれなりにそのコミュニケーションにあうように変わるのだ。これがSNSではないのである。たぶん、ここが問題なのだろう。

    タイムラインは1行であるべきかもしれない。続きを見たければ記事をクリックする。写真もいらない。

    あとは有名なSNSの弊害といえば、自己顕示欲を増大化させていることだ。皆見てもらいたいから、あの手この手を考える。これが社会的悪となっていると思う。自己顕示欲を増大させたいのは注目をあびると快感になったり、成功したとなるからだ。いいねの数、読まれた数、フォロワーの数、数が目に見えるからだ。ひょっとして数をなくせば、いい方向に行く可能性はある。いいねもいらんやろう。コメントもいらない。すべてをオープンにする必要はたぶんない。

    10月 11, 2023
  • 経年劣化

    プラスチックの紫外線に弱いのはなんとかならんのか?と思う。ポリプロピレンケースとかあるけど、紫外線でぼろぼろになるし、白いものは黄色くなるし(これはプラスチックのせいではないかもだが)、プチプチはぼろぼろに崩壊して、吸ったら健康被害が出るかもという状態にまでなる。

    世の中のものは窓際においたら確実に駄目になりそうなものばかり。

    紫外線でいい感じになるのは木製製品か?金属、石などもいいかもしれん。

    とにかくプラスチックは加工が容易だからそこらじゅうに使われているが、だいたい耐候性がひどくよわい。あと耐水性も多分弱い。

    トイレのタンクのレバーと内部をくさりでつないでるところが外れたので、結束バンドで結んでいるが、これが1年ぐらいでたいてい切れる。ま、そのたびに結んでいるが、切れないプラスチックはないものか?耐水の方はポリプロプレンは強いのだったかな。

    しかし、万能なプラスチックってないのだろう。経年劣化しないものは。

    あと、ゴムの質感の塗装、あれは完全に加水分解してベトベトになるからやめてほしい。私はたばこを吸わないが、たばこのヤニで導通がしなくなるのもなんとかならないものか。

    ま、ものは壊れるものなんだろうな。しかし、個人的には100年はもってほしいとは思う。

    10月 10, 2023
  • デジタルデータの片付け

    片付けが苦手だと書いたが、そうも言ってられないので、とりあえず、捨てれそうなものは捨てている。

    デジタルデータでもそうだ。やまほど、いらんデータがあるので、いらんと思ったら片っ端から捨てている。毎日20ファイルぐらい捨てるのが目標だ。

    このブログは時間制限で消すプラグインがあったので、導入してみた。1年前の記事とはさようならだ。テキストデータなので、容量的には少ないがそういう問題ではない。

    過去とどれくらい離れるかが問題なのだ。

    究極的にいうと、片付けとはリアルも含めて、過去との自分との別れでもある。その考えからすると、今しかいらないという話になる。

    で、これを紐解くと想い出というのは不要という話になる。前しか進んでないのだからそりゃそうだ。そう、前からそれは思っていた。うる星やつらリメンバー・マイ・ラブだったかで、想い出だけで生きていけるからみたいなセリフがあったと思うけど、なんか違うなと思っていた。

    結論からいうと、想い出、記憶、それらは残すものではなくて、塗り替えていくものだ。新しいものがどっとはいって消えていく。人間関係もそうだろう。学校の友達も、小学校から、中学校、高校、大学と人間関係は変わる。

    たまたま維持できているものはあっても、ほとんどが変わる。引っ越しすれば、まず変わる。

    話がそれたが、残すというのはデジタルであっても過去を残すことであって、振り返らなければ不要ということになる。

    そういえば、昔ビデオテープで番組録画していたが、あれはほんまに不要だった。その時に繰り返し見るによかったけれど。一時的なものとして残すのはいいがすぐ消すことが大事だ。

    mp3も大量にリッピングしてあるが、いらん曲は消した方がいいかもしれない。

    10月 9, 2023
  • 片付け

    片付けがめちゃくちゃ苦手です。論理的にはこうしたらできるというのはわかっているつもりなのですが、それまでにやたらとものを増やしてしまったので、それらとどう付き合うか、どう手放していくのを考えるのがもはや面倒なわけです。

    それなりに長く生きてきて気づくことが何点かあります。

    • ものをもらったら駄目。
    • いらん買い物をしたら駄目。
    • 収納グッズを増やしたら致命傷。
    • 机の上や、床にものが増えてきたら末期症状。
    • ものの定位置がきまていない。

    ぐらいでしょうか、とにかく、ものを増やしたら、よくないのです。その場所を専有します。複数のものがあったら頭を悩ませます。

    ものを置く場所を増やしたらだめです。人にはキャパシティというのがあります。能力をこえてものをもったらだめなんです。

    要するに、まずは増やさないこと。これにつきます。次に増えたら手放すこと。これが超難しいのです。少なくとも私には。

    愛着があったり、いつか使うかもとか、過去のデータが入ってる等、そういうことを考えると捨てられなくなります。ボールペンとかインクがあったら捨てられないけど、なぜかボールペンが複数あるというパターンです。しかし、実際は専有スペースをとっている。これがよくないのです。ほんまは。

    若い内からものを増やしたら、しんどいということを教えないといけません。なぜなら、ものを片付ける時間というのが絶対に占めてきて、その時間を有効活用できていないということになります。

    これは考えようで、片付けが楽しいと思えばいいのですが、他にもやりたいことがある人はものを増やさないことをオススメします。特段やることがない人は片付けをすることが楽しいと思えば、部屋もきれいになり、住環境がよくなることで満足します。

    まずはとにかく買わないこと。増やさないこと。で、ちょっとずつ捨てることですかね。

    10月 8, 2023
  • 電気代を下げる

    というので照明をLEDにしたり、新しい製品を買うってのはよく聞く話です。

    けれど、ちょっと考えた方がいい。要は、そのコストが節約される電気代に見合うかどうかです。

    LED照明に変えるというのは、ライトそのものを変えなければならない。電球をLED型にできるものはそれだけだが、シーリングライトや、埋め込み式の蛍光灯など(門灯等)は工事も必要となります。LED電球、照明はひところより安くなってきましたが、それでも電球からすると何倍もの値段がかかっています。

    で、対電球だとLEDの消費電力は小さいですが、蛍光灯にくらべるとそれほどでもないというか、数十倍と2倍くらいの違いでしょう。

    なので、電球を使用しているところはLEDに変えた方がいい。蛍光灯はこわれてからでもいいと単純に思います。

    しかも、門灯灯は夜しかつけていないし、1灯ぐらいなので、たいした金額ではないです。

    トイレ等は電球だったので切れた時点でLEDに変えましたが、これもこまめに使用する時以外は消せば電球でもそんなに電気代はかからない。

    たとえば100倍コストがかかるといっても、0.001円が1円というようなことになるのです。

    いったい新しく製品を導入するコストを安くなったとされる電気代で、どこで回収できるのかが問題です。

    1年で回収できるのならそこそこ意味はありますが、10年で回収となるとこれは相当微妙です。なぜなら、だいたい10年で壊れるものは壊れるんです。

    早い話が、導入コストとランニングコストどこで回収できるかです。

    太陽光発電も、ソーラーパネルが何年しかもたないという話があったと思います。政府の補助金がつく場合は、元がとれたので導入するところは多かったですが、今は微妙なんじゃないですかね?

    ああいう大掛かりなものは設置すると撤去費用なども最終的にはかかります。そこまで考えないといけないでしょう。

    10月 7, 2023
  • すべての現象は脳内でおこっている。

    これは当たり前のことだが、目でみたものは脳にいく。音も耳で聞いたものが脳にいく。すべて脳がなんらかの処理をして、時空間にいてると思うわけだ。

    初めて、鏡を見たら、これが自分だと思うのにそこそこ時間がかかり、それから以降は鏡を見たら写るもんだと思う。

    動物は人よりアホなので、鏡を見せて、それを自分だとは思わない。同じ動きをしているのに、動物によっては敵とも思うし、求愛行動に出る動物もいる。

    この現象などはまさに映像を脳が単純に処理した結果なのだ。

    人は複雑なので、その入力情報から自分というもを考えている。しかし、自分というものはなにかは実はまったくわかっていない。

    虫は太陽の方向に動くようになぜかプログラムされている。だから、電灯も太陽光だと思って近づく。ちなみにLEDは太陽光と思わないようで虫はやってこないらしい。(要は紫外線が少ないということか)

    もちろん、虫も自分がなにものかはわかっていない。単に入力情報で動くロボットのようなものだ。

    生物にはこのロボット性が確実にあると思う。人も同様なのだ。そこに意識というものがあるから、単純なロボットではない。複雑なロボットだ。

    学習して頭の中をどんどん変えていくロボットが人だ。そうは言ったものの、成長スピードは人によって異なるし、どんなことでも即時に学習できるわけではない。

    最初に自転車に乗ったらこけるのは当たり前だろうし、逆上がりが即できるかどうかはわからない。勉強も何回もやらないと習得はできない。どんなことも学習には時間がかかるのだ。人間性も同じである。

    たとえば、運がいい人、わるい人がいるが、実はこれは考えようなだけだ。運がいい人は日常のささいな自分にとっていい出来事を拾って俺は運がいいと考えている。逆に、運がわるい人は日常の悪いところばかりを拾って運が悪いと考えている。これは考えグセの話である。考えグセを治すのは相当時間がかかるのだ。そう思った方がいい。そして、これが巷でいう引き寄せの法則の正体でもある。脳を変えれば人生が変わるというのも同じだ。

    ただ、現状から変えていくのにはそこそこ時間がかかると思った方がいい。本当は時間はいらないかもしれないが、普通は前の考え方に多くを支配されているから、結果、時間がかかることになると思う。

    結論をいうと世界にはいろんなものが転がっていて、それを入力情報としてとらえるのは自分次第。脳が決めているのだ。だから脳を変えれば、入力情報としてあがってくるものも変わるといってもいい。

    脳がすべて処理していると考えるなら、どうやって、自分を考えるかだ。考え方を少しずつ変えていけばいいのだ。

    10月 6, 2023
  • 皆が面倒くさいと思うことに意味がある。

    音楽はきれいな音を出すのがこれまで難しかったといえよう。しかし、最近はゴージャスな音は誰でも出せる。

    シンセを使う人はもはやきれいな音では何も面白くなった。簡単にプリセットで選んで出るような音では巷にあふれ返っている。

    昔はアコースティックしかなかったし、電子楽器といってもエレキギター等だったから、ちゃんとした音を出すというか、のりがいいというか感情豊かな音を出すにはそれなりに練習が必要だったのだ。つまり努力したものの勝利であった。

    エレキギターでも上手い人は1日何時間も練習している。クラシックのピアニストならなおさらだ。

    シンセが出てから、パソコンが出てからは、楽器が弾けなくても音楽を作れるようになり、それでも初期の頃はちょっとずらしたり、ゲートを可変することによるテクニック等の違いがあった。今でも有効かもしれんが、それすらもグルーヴクォンタイズ等でやってくれる。

    あるいはそれなりにエディットできないテーブルトップの専用機などはそこそこ誰がやっても同じような音になる。

    ハードルが低くなったから、逆にハードルが高くなったのだ。わかる?

    今までは練習が全てだった。誰それにあこがれて同じギター、同じアンプ等をかったところでその音がそのまま出るもんではない。

    今はそうじゃない。何かしら、人と違うことをそこに織り込んでいかなければならなくなったわけである。要するに、人が面倒くさいなと思うようなことをやっていかないといけないのだ。便利になっても実はやることは同じなのである。w

    面倒くさいなと思うことはなにか?それは人によって違うだろう。エフェクターをいっぱい並べるもそうだし、スピーカーで音をだして、それをマイクで拾うのも面倒くさい。フィールドレコーディングした音を素材で使ったりするのも面倒だ。とにかく、人が面倒くさいのでやらんようなことをとりこんでいけばいくほど、自分の音になるのは間違いない。

    10月 5, 2023
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