Masaru Saito

飛んでいる鳥のイラスト。
  • えらくなりたい?

    ほとんどの人はえらくなりたいと思っていると思う。特に意識高い系といわれる人らはそうだろう。自分のノウハウを人に教えたいというのもそんな感じだ。その気持ちはよくわかる。

    大衆はまず間違ったことをしているというのはある。要するに彼らの行動に合理はない。合理がないから、その行動は間違っているとなる。わかる人はそれを教えたい。そう思ってしまう。

    しかし、その感じ方も、実はどこまでいっても上には上がいる。で、上になるほど言ってこない。

    なんで、もっと偉い人は言わないのか。言っても通じないというのが1つ。もう1つは失敗体験も勉強の内と思っているのが1つ。言わないことで、なにかしら得になることも1つ。言うことで、世界ががらっと変わってしまうのが1つあるだろう。

    べらべら話をしていたり、私はわかっていますよ。教えないだけです、といった類も小物である。

    けれど、人はえらくなりたいのだ、えらくなって自慢したいのだ。しかし、いろんなことを知れば知るほど、言っても通じないレベルにまず達し、もしこれを人に教えるとなると苦労するなと感じてしまう。

    ただ、質問してくる人を邪険にするのもどうかとは思う。ちゃんとその人のレベルで、おもいつくことをアドバイスすべきではある。

    けれど、自分から発信しない方がいい。こんなことを書いているようでは駄目だ。

    10月 24, 2023
  • 休憩、睡眠

    あまりにパソコンをよく使うのでpomyというソフトをいれてみた。
    これは20分たったら、20秒間、20ft以上先を見ろというソフトだ。20-20-20ルールと言われているらしい。

    窓のまえでパソコンをいじっているので、これがでてきたら、窓の外を眺める。音でも画面でも開始終了を教えてくれる。20分間なので、なかなかすぐたつのだが、実際やってみると目が固定されているのがよくわかる。

    こういうのは、全てのパソコンにOSにいれておくべきかもしれない。

    仕事でも20分たったら、20秒間は仕事ができないような状態にしたほうがいいのかもしれない。

    話はかわるが、昔は徹夜して勉強した方がいいと言われていた。今はまったく違う。というのは寝ている間に脳は記憶の定着や整理をしていることがわかったからだ。(脳神経回路を寝ている間につくっているのだろう。)だから、勉強してよく寝ないと覚えられない。これは体を使うものでも同じだ。寝た次の日に体の動きがよくなっていたり、できなかったことができるようになっていることがある。

    寝ないとアルツハイマーの原因になるゴミを除去できないというのもある。寝ることはとても大事なのだ。

    休憩も人には必要なのだ。

    10月 23, 2023
  • スナップ写真か盗撮か?

    この問題はかなり大きい。というか、刑法上の盗撮とは下着とか裸を撮る行為である。普通に街角で承諾なしには撮影していいのだ。

    もし、これが駄目なら、防犯カメラもドライブレコーダーもアウトである。警察が撮る群衆の写真もアウトだ。ま、防犯カメラもドライブレコーダーも本人が撮られているという意識がないので問題にはなっていないだけかもしれない。

    しかし、逆にどうどうとカメラをもって撮ると盗撮が疑われる。おかしなものだ。

    大衆は刑法ではなくて、一般的な承諾なしで写真を撮られることを盗撮だと思っているので、もし、判明したら気持ちがわるいとなって、もめる場合はある。というか、現代だとかなりの確率でもめるのではないか。

    さらに撮影者が、変なおっさんと思われたら、余計そうなる。その点、カメラ女子はさほど、問題になることはない。写真が趣味かと思われるぐらいである。不思議だ。

    私も写真が趣味だったが、スナップ写真はとらなくなった。以前にちょっともめたこともあったし、これからももめることがたぶん多くなると思ったからだ。

    アラーキーや森山大道のような写真は今後撮られることは難しいだろう。デジタルになって、写真は過去のものになった気もしないでもないが。

    デジタルカメラがそこそこ売れていて、スマホにもカメラがあって、大衆の撮る写真は友達か子供か食べ物だろう。そしてSNSにアップロードする時に問題となりそうなところはぼかす。それのどこが写真やねんと思う。

    写真というのはよくわからんスナップにもその時間が残り、やらしい意味じゃない風俗性が残る。あの当時はこうだったのだというのがわかるのだ。それをぼかしてしまってはさっぱりその空気がわからんだろうに。ま、いいや。

    とにもかくにも、私は写真から一歩ひくようになった。撮っても風景写真だけである。この問題は理屈では全然問題ないのだが、感情的に問題であって、大衆がその間違いに気づくことはありえない。それも大衆文化の1つなのかもしれない。

    写真じゃなくてたぶん絵なら問題ないのだろうな。めちゃくちゃ速くその状況を描いてしまうというのは、どういうんだろう。盗画とかいうのだろうか?

    10月 22, 2023
  • 宣伝して効果がないものはある

    宣伝をすればすべてのもの、ことで効果があると思うのはたぶん違う。ニッチなものやイベントは宣伝しても、おそらくは意味がない。

    宣伝してうまくいくのはそのマーケットが広い場合だ。この場合は宣伝すれば、それがまだ顧客になっていないところに到達する可能性はある。しかし、ニッチなものは顧客自体の数が少ない。その顧客にその宣伝が到達する可能性はとても低い。なぜなら、宣伝とは顧客を選ぶ行為ではないからだ。

    もし、そうしたニッチなもので宣伝をするとしたら、似たような状態のものやイベントで宣伝をいれるケース。youtubeなどもいいかもしれない。youtubeは見る人が選んで見るから同じようなものなら宣伝になる可能性はある。実際、関連動画で流れるケースは多数あるし、コラボでその存在を知るというのはとてもよくある。

    タイムラインが流れてくるSNSだとちょっと違う。なぜなら、SNSは宣伝したい人たちが集まっているので、自分の宣伝はしても人の宣伝は見ていないわけだ。だから、基本はうまくいかない。

    これはSNSが友達になる基準が様々だからだ。そのニッチなジャンルを目指して友達になっていることはない可能性の方が高い。とはいえ、友達を増やして友達だから、それを買う見る聴くなどはある可能性はあるが、それも最初だけかもしれない。

    友達を増やすというのは当然限界は訪れるし、精神的にも増えた友達づきあいは割としんどいものだ。

    市場になにかを投入するだけで、見る人は見るし、見ない人は見ない。だから、宣伝しなくてもたぶんいいのだ。

    実際、自分の音楽ではSNSでの宣伝は原則的にやめた。やってもやらなくても変わらないからだ。

    10月 21, 2023
  • 生きる意味、目的

    簡単なことで生きる目的は死なないことである。我々は死なないために、生きているのだ。シンプルに考えるとそういうことになる。

    生きるために食事をしている。食事をするために経済活動をしている。基本はこれだ。

    ただ、ほとんどの人、特に日本人は生きることは完全にクリアできているので、他の目的を探してしまう。しかし、それは本質ではないから、探しても何も出てこない。これが実態だろう。でもそこに意味とか目的はない。

    うまくいっている場合はいいが、うまくいかない場合はやめた方がいい。やり始めたことをやめれるかどうかがほとんどの問題のポイントだ。

    別にやめても、何かでご飯が食べれて生き延びれたなら、どうでもいいのだ。そこに固執するから問題が問題として存在してしまう。

    で、うまくいっていることはやがてうまくいかなくなる。逆にうまくいっていないものはいつしかうまくいっている可能性もあるが。ま、でもうまくいくことをいろいろ変えながら、それに乗っかるのがいいかもしれない。

    うまくいくことを、好きなことにしてもいい。好きなことをやっていけばいい。で、ずっと好きということも、これもまた、ないのだ。人は飽きてしまう。それが普通なのだ。

    10月 20, 2023
  • サンプラー

    最近サンプラーが面白い。サンプラーは一時期流行ったし、ソフトで簡単にできるようになってからハードサンプラーは廃れていった。今はMPCやSPに代表されるようなUIがよくできた機種ぐらいしか残っていないだろう。

    ソフトになってサンプラーが使われているかというとそうでもない。オーディオが切った貼ったができる時代ではサンプラーにいれなくてもいいのかもしれない。

    ソフトはハードかはどうでもいい。実際、私が最近多用しているのはソフトの方だけど、本当にたぶんどっちでもいい。

    というか、日本でちゃんとサンプラーを使えているかというと、それは愚問に思う。というか、海外でもそんなにちゃんと使えている人がいないけれど、日本のような狭いところだと余計にいないのではないかと思えてくる。

    サンプラーはシンセや楽器の代用品ではないということだ。基本はフレーズサンプリングといったようにまるごとサンプリングする。フレーズサンプリングというと、レコードから引用が主流なのかもしれないけれど、そっちじゃない。なんでもだ。

    自分の弾いたフレーズ、作った曲、自然音、環境音、とりあえず、オーディオとなるものがサンプルになる。

    オーディオ貼り付けと何が違うねんとなるだろう。そう使い方によっては何も違わない。しかし、サンプラーはさきほど言ったのと矛盾するようだけど、楽器になっている。音程はかえれるし、ディケイでフェードアウトする。任意のタイミングで音をいれれる。

    フェードアウトを切って貼ったでやっていたら、面倒くさい。

    ノイズまみれの音もサンプラだとアタックだけノイジーでフェードアウトしてくということになる。

    そう、このノイズをノイジーでなくてほしいのだ。そのためにサンプラーは有効なのだ。だから、マイク録音とか、カセットテープに録った音だとかが好ましい。

    10月 19, 2023
  • 計画性

    よくこの殺人は計画的なものかという話がある。ある程度前持って準備いていたら多分計画性はあったと思う。

    テレビを見ていたら、コメンテータが、これほど周到的に計画をしていたのに証拠は残しているし、バレるかもということは何も考えていないので、そこまで計画的なものかが疑問ですと言っていた。

    一見正しそうに見えるこの意見。実際はたぶん違うと思う。多くの人は成功させるためにどうしたらいいかを考えて計画する。これは当たり前だ。そして100人いたら90人以上はそう計画するのだ。たぶん。

    たとえば、夏休みの宿題を計画的にやることを考えて、宿題はいくつあるから、これを毎日やって、何日でわってということを考える。これは普通だ。で、計画的にできる子と出来ない子がいる。後者は私だ。

    で、計画はたてたものの計画どおりできなかった私が、「計画が失敗したら次にどうするかを計画しているか?」というとしているわけがない。

    要するに、ほとんどの人は失敗の計画はたてないものだ。あるいは失敗しそうになった時のことは考えない。これが普通なのだ。

    衝動的にももちろんそうだ。ギャンブルをする前にこれだけ儲かったらと夢見てギャンブルするが、実際にはお金を失って終了で、その時に、これだけ失ったらえらいことになるなどと考えていない人が多いから、ギャンブルで破滅する人が多い。全財産かけてしまう人が多い。

    これも失敗を想像していないからなのである。誰も失敗から考える人はいない。しかし、投資においては失敗から考えるべきだ。先のギャンブルもだ。いや、すべて、失敗から考えた方がいいだろう。

    10月 18, 2023
  • 感覚と理性

    体にとって、一次情報は感覚のくせに脳に到達して記憶化される段階になると理性になる。感覚というのは瞬間的なもので、記憶にはそんなに感覚は残っていないと考えた方がいい。

    もちろん、嬉しいことや悲しいこと、つらいことは覚えているだろう。しかし、当時の感覚はごっそり抜け落ちている。悲しい感情は「悲しい」ことになっているのだ。つまり、そこでは抽象化されているといえる。

    私は脳科学者でも医者でもないけれど、きっとそういうことが行われているんだろうなと思う。

    これが何を意味するかというと、音楽を作っているものとしては大きな意味がある。要するに、音そのものからダイレクトにくるものは瞬間の感動をあたえるが、記憶では抽象的な記憶しかないのだ。

    もっと簡単にいうと、音楽をおもいだすためには歌やメロディーが効果的ということだ。逆に音の質感等は情報量が多すぎるので記憶されていないことが多いということになる。

    しかし、感動そのものはダイレクトに音なのだ。それは音楽でなくても同じ。大砲の音や、サイレンの音など巨大な音はそれだけでも感覚にひびく。工事現場の音がうるさいのはそのせいだ。w

    しかし、後日、工事現場の音をリアルには思い出せない。工事現場がうるさいという記憶でしかない。情報がごっそり抜け落ちている。

    これがいたるところにあるはずだ。美術館で見た絵や写真を思い出しても、その内容しか思い出せないはずだ。映画で感動しても、語ることは出来ず、ストーリーを語っても伝えられないとか。

    これが何を意味するかというと、内容は具体的な方が思い出せるということでもある。音楽だと簡単なメロディー、そもそもメロディーがあるものが一般的な音楽になっている。写真や絵は具象が写っていないと訳がわからない。映画でもストーリーがあって成立している映画が普通だ。どこそこで食った麻婆豆腐が美味しかったからよそでも麻婆豆腐を食べるとかよくあることである。

    しかし、体験は感覚的なものなのだ。つまり、音楽では音が重要であって、写真や絵は内容以外が重要であって、映画もストーリー以外が重要だ。麻婆豆腐ならその店の味が重要なのである。

    宿命的にそれらは覚えてもらいにくいけれど、その覚えてもらえないことをやることこそに意味があるといってもいい。

    10月 17, 2023
  • 間をおく

    なにか楽しいことをしたら、脳内にドーパミン等の脳内麻薬とよばれる物質がでてくる。というか、それらがでてきて、楽しいとなる。

    で、それに飽き足らず、次なる快感や刺激を探しに行く。

    日常でもこうしたことがおこっている。酒であるとか、ゲームであるとか、SNSであるとか、依存症と名がつけられるものはたぶん、全部その傾向があるわけだ。

    必要なことは次の刺激ではなくて、時間をおいて、前の刺激を忘れることだ。そうすれば、何回もその刺激が楽しめるはずだ。

    要するに、ハレとケの感覚、日常と非日常のバランスが大事なのだ。美味しいものはたまに食べるから美味しいのである。普段は質素な刺激のないものに接するのがよい。

    間をおくことが必要なのだが、最近は便利になりすぎて間をおけないのだ。SNSがその代表である。あるいはデジタルで音楽や映画をみるのも、簡単すぎてよくない。

    データで音楽をきくよりもCDで聞いた方がいいということに気がついた。音が云々という話ではない。CDだと選曲が面倒だし、1枚いれたら聞きっぱなし。そして、終了したら止まってしまう。新しい音楽を聞こうと思ったら、CDをいれかえなければならない。この作業と時間が必要になってくる。プレイリストなどという便利なものもつくれないのだ。

    この不便さが、人によってはいいものだったりする。映画だと昔は映画館にいくか、レンタルビデオで借りるか、テレビ放送で見るかだった。ビデオに録画でもいいが。今は動画が簡単に見れてしまうし、映画も簡単だ。

    必要なのはローテクなのだ。ハイテクでも適度につきあう姿勢が必要だろう。

    10月 16, 2023
  • 臨死体験、霊現象、幻覚

    ここ最近、臨死体験とか霊現象とかそういうのをいろいろyoutubeで見ていた。で、中には幽霊にいっぱい質問した人とか、臨死体験でどこでも時間を超えていけることがわかったので、歴史をさかのぼったり、宇宙の誕生がどうなっだったのかを見た人もいた。

    でもよ、私にはすべて脳の幻想である可能性がぬぐい切れない。
    臨死体験の人の体は死が近づいてくることがわかっているので、その痛みを和らげるために脳内には脳内麻薬がいっぱい出ているに決まっている。

    通常の麻薬でも幻覚を見るし、ありえないストーリーを構築することだろう。なので、臨死体験をした人がそういう状態に陥るのは容易に想像できる。さきほどの幽霊にインタビューしまくった人も気分がわるくなってこれはヤバイと思ったってあったから、ほぼこれも臨死体験ではないかと。

    変性意識状態、トランス状態は脳内の酸素が足りなくなってなることもしられている。だから呼吸法で、吐く方を長くすることで意図的に酸欠状態を作り出しているらしい。瞑想とか。

    また、人のDNAにはどういう情報がどれだけ詰まっているか知らないが、祖先の記憶が全て入っているとしたら、恐ろしい数の人間の記憶が入っている可能性がある。

    記憶といっても、たぶん、コンピュータのようなメモリではなくて、関数なのだ。シナプスを構築して回路を作っているのだ、だから、長期記憶が定着云々はこの回路形成に時間がかかっているのだろう。すべて憶測です。w

    つまり考えグセといったものが記憶なのである。

    前から思っているが、日本は島国でこの考えグセがそこそこ安定的にあると思う。この国で、政治革命がおきなかったりするのはこの考えグセのせいだろう。

    アメリカはヨーロッパからとびだしたいやつらばかりだったから、それでアクティブな精神が受け継がれていると思っている。アメリカン・ドリームでヨーロッパどころか世界中から、何かを成し遂げたいやつらが集まっている国だからこそ、最強の国になっているのだ。

    話がそれたが、膨大な人々の記憶が自分にはいっている可能性はあるのだ。だから、それがどこかで夢や幻覚となって出てきたりすることはあるし、普通に本や映画から変な知識が入ってきているかもしれないし。つまりは幻覚はどのようなものでも見ても当たり前だ。

    明晰夢を見たことのある人が夢のなかでメモを残したが、やっぱり夢で残っていなかったという話がある。明晰夢なので、現実感はあるのだ。

    つまり、現実というのはそれくらい危ういものだ。マトリックスのようなことがあっても全然おかしくない。臨死体験も霊現象も現実と思えても幻覚だと考える方が実は自然なのかもしれない。

    10月 15, 2023
←前のページ
1 2 3 4 5 6
次のページ→

Masaru Saito

Proudly powered by WordPress