裏の裏は表じゃない


人生の話だ。表の人生があれば、裏の人生がある。簡単にいえば、成功している人生と成功していない人生だ。

裏の裏は表というがそうではない。この場合、さらに裏なのだ。裏レベルが1段あがっただけだ。

表を歩いてる人生では多少の失敗ではまだ表なのだ。どん底におちたという気はしないだろう。しかし、裏側にいれば、結構、裏側だと思う。

しかし、そのことは実はたいしたことではない。どういうことかというと、運命的というか、ただの運なので、確率なので、どちらもありうるということだ。表にいくか裏にいくかは誰にも決められないのかもしれない。

いくら努力しても、たとえば、よい学校を出てよい会社に就職しようと思っても、そうなるのはそれだけでもざっと25%ということになる。単純によいわるいを50%で考えて、その50%だから25%だ。もし、これが東大出て官僚になるなどだとさらにもちろん確率は下がる。確率の問題だ。

定員が決まっているところに多くおしよせたら、それは外れる人も出てくる。けれど、その外れた人と受かった人には明確な違いはない。ただ、運がよかったかどうかだ。

で、この運というのは、そこらじゅうで効いてくる。だからずっと裏を引き続ける人もいる。裏の裏は表じゃないのだ。

けれど、裏側の人生はそれを楽しめばOKなのである。これが人生の難しいところだ。比較すると自分がだめだと思うのかもしれない。だから、昔から比較することはろくなことがないといろんなところで言われている。

裏の裏であってもそれでいいのだ。