傲慢


未来は誰にもわからない。これが真実であり、それに対応しようとするのを私は傲慢だと思う。いかなるルールを設定しても、想定外のことや、ルールを無視した事故は起こる。

事故が起こったときに、その起きた事故に対して、こんなことにならんようにうんたらかんたらとか言うのは愚の骨頂だ。起きたしまったものは仕方がない。もうこんな事故はおこしたらあかんで、で十分だ。

想定外の事故ならなおさらだ。想定内であっても、たまに起きてもおかしくないのだ。

交通事故なんてまさにそう。交通事故がなくなることはまずない。自動運転が増えてもおこる。車や運転に問題がなくても、道路に問題があるかもしれない。空からなにかが降ってくるかもしれない。

あるいは子供の事故もそうだ。子供は好奇心がいろいろあるので、どんなことも遊びにしてしまう。だから大人から見たら危険なこともやってしまう。危険とわからないからだ。むしろ失敗したり、事故にあったほうが、成長する。それが子供だ。危ない目にあっているから、ここは危険だという判断がつくようになるのだ。

それが自然であり、繰り返しになるが、未来は誰にもわからない。これがわかるとか想定できるということが傲慢だ。

なにかに怒っている人はだいたい思うようになっていないから怒る。しかし、思うようにならないことが普通だ。そう思った方がいい。