皆が面倒くさいと思うことに意味がある。


音楽はきれいな音を出すのがこれまで難しかったといえよう。しかし、最近はゴージャスな音は誰でも出せる。

シンセを使う人はもはやきれいな音では何も面白くなった。簡単にプリセットで選んで出るような音では巷にあふれ返っている。

昔はアコースティックしかなかったし、電子楽器といってもエレキギター等だったから、ちゃんとした音を出すというか、のりがいいというか感情豊かな音を出すにはそれなりに練習が必要だったのだ。つまり努力したものの勝利であった。

エレキギターでも上手い人は1日何時間も練習している。クラシックのピアニストならなおさらだ。

シンセが出てから、パソコンが出てからは、楽器が弾けなくても音楽を作れるようになり、それでも初期の頃はちょっとずらしたり、ゲートを可変することによるテクニック等の違いがあった。今でも有効かもしれんが、それすらもグルーヴクォンタイズ等でやってくれる。

あるいはそれなりにエディットできないテーブルトップの専用機などはそこそこ誰がやっても同じような音になる。

ハードルが低くなったから、逆にハードルが高くなったのだ。わかる?

今までは練習が全てだった。誰それにあこがれて同じギター、同じアンプ等をかったところでその音がそのまま出るもんではない。

今はそうじゃない。何かしら、人と違うことをそこに織り込んでいかなければならなくなったわけである。要するに、人が面倒くさいなと思うようなことをやっていかないといけないのだ。便利になっても実はやることは同じなのである。w

面倒くさいなと思うことはなにか?それは人によって違うだろう。エフェクターをいっぱい並べるもそうだし、スピーカーで音をだして、それをマイクで拾うのも面倒くさい。フィールドレコーディングした音を素材で使ったりするのも面倒だ。とにかく、人が面倒くさいのでやらんようなことをとりこんでいけばいくほど、自分の音になるのは間違いない。