臨死体験とか


臨死体験とか死後の世界とか、お花畑だったり天国的な描写があると思うけれど、あれって全て脳内麻薬だと思うのよね。

死というのは生命機能が維持できなくなることで、それまで体はたぶん必死で抵抗して生きようとしていて、その戦いは壮絶なものだから、その間、脳には違うものを見せとけみたいなことかなと勝手に思っている。

昔から、呼吸法で首がしまると幻覚を見るとかそういうのがあるらしい。つまり幻覚を見るというのは生命的な反応だと思う。あるいはめちゃくちゃな痛みで他の細胞が影響を受けないように反対の物質(麻薬的)を出すとかそういうことだろうと。

ああいう世界があるかというより、幻覚を見せられているからそれが真実に思えてしまう。要するにVRをしているのと同じ状態、マトリックスと同じ状態。つきつめると、今生きているこの時間もある意味VRなわけで、要するに、それに意味づけしているのは自分だ。

単純な話、美しいってたぶん定義できないと思う。何がどうなったら美しいのか、それは文化的背景や環境によると思うんですよ。

異質なものを美しいとか思ってしまう可能性はある。山の中で、赤い花を見つけたら、緑一色に違うものだから美しいとか思ってしまう。当たり前になってしまったら美しいにならないのではないかという気がする。

たとえば、逆に山に生えている雑草を都会にもってくると美しいとなったりする。

で、結局、個人の価値観がどうやって生まれてきたのか?ここが問題で、それは文化と環境だと思うわけです。

なので、美しい世界があるというよりも、自分が今考える美しい世界を自分で幻覚で作っているのが臨死体験等のものではないかと。

要するに何が言いたいかというと、すべては脳内の現象でかたづく話だろうと。心霊現象、UFO体験もきっとその類です。

現実世界で美をおいかけることも意味がないように、あの世がいい世界だと思うのも意味はありません。

私が思うに、死んだら、考えることもなく無になったという感覚もなく、要は今の意識はそのまま消えてなくなるだけです。それを人によっては深い眠りに入ったというかもしれませんが、起きることはないので、消えてなくなるだけが正しい。

というわけで、意識あるうちにちゃんとやりたいことをやったり生きることが正しいのです。意識がある事自体が凄いことだと思いますから。